
2023年8月1日付、『聖教新聞』の文化欄に掲載された、クーンの『科学革命の構造』についての評論を再褐しておきます。
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半世紀前、理学部の学生であった私に、大学紛争は不意打でやってきた。この瞬間、私の中で、大学は反権力の象徴から解体されるべき旧体制へと反転した。いまとなってはもう説明不可能なのだが、他の学生と同様、私もひどく怒っていた。そして残る人生すべてを大学批判のために生きようと決心してしまった。具体的には、在野の研究者として何か成果を上げ、研究は大学や研究所でしかできないとする社会通念を崩してみせることであった。
この時、帰郷の際に何気なく買ったのが、翻訳されたばかりのT・クーンの『科学革命の構造』であった。その後、私は会社勤めをしながら、独学で生物学史の論文を書く生活に入ったのだが、困難な状況の中で、心の支えとなったのがこの書であった。この本は、物理学を素材にしてパラダイム論を展開しているのだが、この論法を生命科学に当てはめて批判をするのがお前の役割だ、と呼びかけているように思えた。
最近、原著出版半世紀の記念版が新訳で出版された。原文の微妙な表現を日本語に移すことに神経が向けられ、旧訳より鮮明な文章になっている。半世紀後のいま読み返してみると、三つの点が浮かび上がってくる。
第一は、この本の核心はやはりパラダイム論にあり、いまなお議論を呼ぶ部分があること。第二は、この本が引き金となって、科学論の焦点は、理論重視から科学の社会学的研究に関心が広がったこと。第三に、この出版の根底には、自然科学が担う政治的な機能の歴史的変換があること、である。
第一に、クーンはパラダイム概念について、いろいろ説明を工夫しているのだが、結局それは、ある科学者集団が憑かれたようにとらわれる、問題解決のための枠組みのことである。科学者はこの枠組みの内側で研究を進めるから、効率的に論文が生産され、科学は前進しているように見える。この枠組みの下で行われる研究を、クーンは通常科学と呼び、実際の研究の大半は通常科学であると喝破した。
通常科学の下では、科学者は型の定まった問題にしか取り組まないから、次第に矛盾が蓄積し、やがて危機が訪れて、新しいパラダイムに移行してゆく。クーンは、このパラダイムの交代を科学革命と言うのである。
第二に、クーンの科学革命論に従うと、科学の進歩は、その成果が一つ一つ積み上げられていくのではなく、パラダイムの交代という非連続な過程になる。さらに、それまでの科学論は科学理論にのみ関心があったのだが、クーン以降は、通常科学を形成する科学者集団の行動も研究の対象となり、科学社会学という新しい分野を強く刺激することになった。
第三に、クーンのパラダイム論は、それまで絶対的なものとされていた自然科学の真理性の地位をも考察の対象に繰り込んだ。そのため当時の科学哲学者からは、科学を相対化し、科学の発展を集団心理学の対象に貶めるもの、と非難されるまでになった。ただし、これには少し説明が必要である。二〇世紀前半には、ソ連政権やナチス政権による自然科学への政治的介入があったため、これに対抗する最後の砦として、自然科学的真理を掲げる思想的立場(代表は論理実証主義)が現れた。
この学派の多くはアメリカに亡命し、第二次世界大戦後は、自然科学を至高のものと考える科学啓蒙運動が起こった。この精神運動が一巡したのが『科学革命の構造』が出版された一九六二年ころであり、同年にフランスでは、レヴィ=ストロースの『野生の思考』が出版された。両者の根底を流れる、自然科学の相対化への衝動という同時代性を見落としてはならない。
問題は生命科学の場合である。戦後の科学啓蒙運動は、戦前まで生物学は思弁的な生命論に耽っていたとする見解を広めたため、生物学は実験重視の姿勢に傾斜した。その思想的基盤の上に、一九六〇年頃、分子生物学が登場したから、生命現象はすべて物理・化学によって説明されるとする生命観が速やかに浸透していった。
ところが二十一世紀に入ると、生化学の領域において、これまでとは異質の変則的な概念が用いられ始めている。具体的には、「天然変性たんぱく質」や「相分離概念」などがそれである。そしてクーンに従えば、変則的現象の出現は科学革命の前兆である。この事態は、半世紀以上に渡って維持されてきた分子生物学的生命観を、根本から見直さざるをえないことを強く示唆している。その場合、これまでは本格的には適用されることのなかったパラダイム概念が、巨大研究体制にまで成長した生命科学に向けられることで、その諸特徴を効果的に扱う概念として蘇る可能性は、決して小さくはないのだと思う。
米本昌平・科学史家、『聖教新聞』2023年8月1日付