むかし、わが家にはポッキーという家族がいた。 ほんとうに気立てがよく、ハンサムなゴールデンデドリバーだった。 読売新聞文化部から、「時の栞」という欄に、忘れ難い一冊を書くように依頼され、私は、コンラート・ローレンツの『人、イヌにあう』を選んだ。 文化部記者がカメラマンととも拙宅まで来られた。 ポッキーを枕にこの本を読んでいる一枚は、苦心の末の産物である。 以下は、『読売新聞』2004年3月28日付、の再録。

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この歳になっても人見知りをするが、幼年時代はとくにきつかった。
祖父は派手な人で、接待好きだった。 名古屋の郊外に接待用の別邸を建てたが、戦災でこれだけが残り、私はこの使いづらい家で育った。 なぜか、電車の最寄り駅から門の前まで桜並木が続いていた。 それは訪ねてきた人が迷わないように植えたものだと、後で知った。 庭で園遊会を開いたり、御園座に出ている歌舞伎役者を泊めることもあった。 来客があると、初孫だからと晒しものにされるのが嫌で嫌で、お手伝いさんにかくまってもらった。 祖父が死ぬと莫大な借金が残った。 借りた金で大盤振る舞いをしていたらしい。
いつも犬を二~三匹飼っていた。 メス犬が子を産むと、縁の下にもぐりこんで終日、話を交わした。 秋田犬の子犬の丸い腹や癖のある乳臭さは、遠い日の日向ぼっこの記憶が戻ってくる。 それはまた、威圧的で近寄り難い大人たちの世界とはまったく別に、生き物たちの世界が厳として在ることへの、私だけの手応えでもあった。
いったん犬との間にきずなが結ばれれば、彼らとの間でと同じように、冗談をいったり笑ったりする間柄になれること、そのためには、変わらぬ誠実さと鋭い感覚が絶対不可欠であった。 庭に池があった。 私は、近くの小川で獲ったオイカワやイシガメを放した。 生き物たちの結界をかいくぐって、石燈籠の陰から、悠然と泳ぐ姿を眺めるのが好きだった。 ところが、大人たちは庭下駄でやってきて、「なーんにもおれせんがや」と言うのが常だった。 その無知、無神経を心底、許せなかった。
大人たちが想像すらしない、いっさいの価値を認めない世界が存在し、その秘密を私だけが知っている。 この自信は、その後の生き方を決めたような気がする。 権威や常識なぞつかの間のもの見下し、孤独に耐える快感を覚えた。 周囲に反抗することすら控え、熱い湯船からそっと出るように、郷里から脱出することばかり考えていた。
こんな鬱屈した感情を忘れかけていた大学時代に、翻訳されたばかりのローレンツの『人、イヌにあう』を手にして仰天した。 犬の本と言えば、子供向けの絵本しかなかった時代である。 こんなにできる大人がいたのかと、素直に甲を脱いだ。 かりに言葉にしたとしても、大人たちはそれを評価しないだろうと、私が勝手に断念した作業を、ローレンツは徹底して進め、犬たちの本性を的確に表現していた。 著者による挿絵も、一見して、犬を知り尽くした者のそれであった。 能力差は較べるまでもなかった。 救いは、「そのころ私は年のいかぬ少年だたが、すでにひとかどの動物学者であった」という一文をみつけたときである。 ローレンツと私は、同じ少年時代を送ったのだと確信した。
いうまでもなくローレンツは、「刷り込み」概念を提唱した動物学者で、オーストリア初のノーベル賞受賞者である。 彼は、野生こそ真の自然であり、家畜化されたものは二級と考えていた節がある。 それにしても、日本人の犬に対する感覚は、ここ半世紀の間で激変した。 高度成長期の無関心から、平成ペットブームへと至る過程で、犬たちの野生は表白され、消費財になってしまった。 ローレンツの世界は、もう戻ってこないだろう。 わが家にはいま、ポッキーという名の犬がいる。 妻と娘が、私より人間的に扱っているのでは、と釈然としない毎日である。 誤解も理解のうちと、もう許すことにしている。
